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›2002年01月14日(月)

FIVE TRUE LOVE

以前「あなたのSMAPは何人グループですか?」という文章を書いた事があります。
このサイトはSMAPサイトではないのだけれど(…ないよな)、実はあの文章についてのメールを頂くことが一番多かったりするのです。

実のところ、あの文章を書いた時は、私はその答えをハッキリ言えなくて自問自答に終始していたのだけれど、今は、その問いに対して答える事ができそうです。

「SMAPは、6人だった、現在5人のグループです」

ただの事実説明でしかないような答えなのですが(笑)私にとってSMAPは「はだかの王様〜シブトクつよく」までが6人、「青いイナズマ」以降は5人。そのふたつが繋がっているからこそ、SMAPである。
それを強く強く感じた143日間のおしまいの日が2002年1月14日なのです。

(注:以下の本文の一部は、準備段階(2001/09/25〜)に「8月の長い夜」というタイトルで書いていたものです。
 当初は2つに分けるつもりで書いていましたが、書き進むうちに切り離すことができない部分が生じたので、まとめました)。

*

その143日間を、ひとことで言ったら「世にも奇妙な物語の世界にいるみたい」でした。
ずっと「ナニカ、オカシイ」と感じていたのだけど、どうすることもできない状態。
どうにかできるチカラなんて、イチファンでしかないあたしには、あるはずもなかった。
何も出来ないから余計に「世にも奇妙な物語」のように感じたのだろうけれど。

実は、最初の夜には「もしかしたら、自分はこの人のことを嫌いになるかもしれない」と思ってた。
正確に言うと「この人のことを好きだと言えなくなるかもしれない」と思っていた。
「好き」でいられないと言うのは、この場合「信じることができなくなる」に、至極近い意味合い。
インターネットのニュースで速報が入るたびにチェックしながら、そのことが怖くなっていった。

その怖さがなくなったのは、会見を見た時だった。
会見自体が芝居っぽかったと(メイクしてたもんな…白髪隠してなかったけど)言われたりもしていたけれど。
SMAP×SMAP生放送での復帰に至るまで、仕組まれたマスコミ臭があったりもしたけれど。
それでも、会見を見て「これからも好きでいるんだろうな」と実感した。
(つーか、嫌いになれるんだったらあんなに泣かないだろう/笑)。

それぞれ「事実」そのものはひとつしかない。
けれども、必ずしも「事実」が正しく理解されるとは限らない。
認識されるのが、本当の「事実」そのものとは限らない。
事実として語られてしまえば、それが世間的に認定されてしまう場合もある。
本当にあったことなど、当事者にしかわからないのだ。

会見の時点では「語れない」事が多かったのだけれど、語れる限りのことを彼自身の言葉が語っていた。
だから、会見を見て感じたのは、吾郎ちゃんが(本当に起こった事の真相はどうであれ)、事実とされてる事に関して、きっと後日もその弁解はしないであろうと思える姿勢でいる事だった。

だから私は、今でも会見で語られた事が全て事実だとは思っていない。
けれど私は、その時会見で語られた事を全て事実だと思おう、と思った。

稲垣吾郎が「真実」として語る言葉だけを信じようと思えた。
それがあたしにとっても「真実」だなと、思ったから…ちょっとアブナイ思想っぽいけれど(笑)。
ああいう形であったとしても、姿を見て、声を聴けただけで落ち着く事ができた自分がいた。
しかし(もちろん?)、とっさに録画したこのビデオを見ることはできないし、今後再生することはないと思う。

時間がちょっと前後するのだけど、名古屋でのライヴから、SMAPが4人でツアーを続行する事になったのが判ったのが、金曜日の深夜だったかライヴ当日になっている翌朝だったか、理性よりも感情が勝っていた時期だったその頃のことは、記憶の序列があいまいになっているのではっきりと覚えていない。
中止にはならないだろうと思っていたから、4人でツアー続行するだろうとは予測していたのだけれど、それでもその決定を聞いた時はイヤだなって思った。

ぶっちゃけ「そんなの見たくない」と思った。
最初にそう思った時の理由は「4人のSMAPなんか見たくない」だった。
多分、欠けたひとりが「稲垣吾郎」でなかったとしても、同じことを感じたと思う。

土曜日の夜、名古屋ドームでのライヴの模様が、ワイドショーではないフツーのニュース(USOの終了後の5分ニュース)で流れ、不意に4人が頭を下げているのを見た時が、この最初の3日間で一番辛かった。
そして、1日中泣きつづけた後でも、まだ涙って出るんだなって変に感心しながら、泣いていた。

イイワケをしない4人。
吾郎個人のことで、ただ謝罪の弁だけを述べる4人。
その姿が痛かった。決して「彼の不在」に泣いた訳では、ない。

だからその時、自分はきっと4人のライヴを見て終始泣き通して終わってしまうと思った。
私は、そのツアーのチケットを、その時点であと2回分押さえていたのだけれど、それなら同行者にも迷惑だし行かないべきだと考えていた。
そして、SMAPのライヴは今は1年1度しかない。
隣りで泣いてるヤツのために不快な思い出にしてはいけないよな、と思っていたから。

その時にSMAPファンの友人から「4人は、きっと、吾郎ちゃんの帰れる場所を守る為に戦ってるんだと思うよ」とメールが来て「SMAP、たいした事ないじゃん」と言われたらダメだからだと思う」「吾郎が戻って来るためには、4人になった事で(人気とか、動員記録が)落ちてはダメだから、帰って来られる場所を守ってるんだと思うよ」と書いてあった。
そのメールを貰ってからしばらく考えて、吾郎のうちわを持って、デビュー10周年の記念の日のライヴに、予定通りその後も見に行く事を、自分で決めた。
「ナニカガ、オカシイ、デモ、ナニモデキナイ」と思っていたその時の私がSMAPのためにできる唯一の事だと思ったから。
そしてその時、次に泣くのは、SMAP5人が揃った時にしようと、こっそり自分だけで誓った。

結果として、参加した2001年のSMAPライヴのうち半分が4人だったことになるのだけれど、「楽しめるのか、あたしは泣くんじゃないか」は杞憂に終わり、私は4人のライヴを楽しむ事ができた。
中居くんに、「企みは、成功していたよ」と、言える位に。
その「楽しめたこと」で、自虐的な気持ちになったりもしたんだけれどね…(苦笑)。

SMAPのライヴは元々、私にとって「絶対的に楽しいもの」である。
今まで「楽しいものだ」という前提を裏切られた事がないので、SMAPに対しての絶対的信頼がある。
「楽しいもの」を提供しているブレインの中居に、私は絶対的な信用を置いている。
「誰よりもSMAPを好きな人が、SMAPにいてよかった」とか、
この人がいたらSMAPは絶対大丈夫だ、と実は思っている。
やっぱり、リーダーなんだよ、あれでも(←何気に中居に対して失礼/笑)。

例えば、中居以外のメンバーが冷静ではいられなかった事は、それぞれが語った「その時」の行動や気持ちのぶれから明白なのだけど、中居が、事件を知って最初にやったことは「4人で(ライヴを)やる場合の構成を、すぐに紙に書き出す事だった」と言っていた。
中止か、5人か、4人かわからなかったけれど、無駄にはならないと思った、と。
その話をする時に「吾郎のファンとか、吾郎自身にはひどいって言われるかもしれないけど」と前置きしていたけれど、私はそんな中居を、プロだな、カッコイイな、惚れる!と思うけれど、ひどいとは思わなかった。

むしろ、ひどいと思ったのは、2001年12月12日にリリースされるウラスマツアー関連の記録媒体が、4人ライヴで収録したモノ(ビデオ/DVD/写真集)で収録されるというのが判った時の、「それでも発売する理由」だった。「待ってるSMAPファンのために、緊急的にリリースする」と言うようなことが言われたのである。
もちろん、リリースの予定だとか、収録の日程は前もって決まっていた事だろうし、そこには「契約」とか、色々な事情があったのだろうとは、思う。だから「仕方ない」ともアホみたいに冷静に考えている自分がいたりもした。
けれども、私が待ってるのは、SMAPで、リリースされるそれはSMAPじゃない!という感情は、どうしても消すことができなかった。
そして、そんな風に思っているのは吾郎ファンの自分だけで、実は世間が待ってるのは今やもう「吾郎がいないSMAP」なのかな、なんて考えてしまったりもした。

その頃の私は、4人で今まで通り(もしくは今まで以上のことが)できてしまえば、今後SMAPは4人グループになってしまうかもしれないと、不安になっていた。
この時期(2001年年末)は4人だけでいくつかの番組に出ているし、TV誌の表紙も4人で飾っている。
世間がそのうち「4人のSMAP」に慣れてしまうんじゃないかと、思ったりもした。
ひとつひとつが不安の種になっていた。起こっている全ての事柄から、たったひとつの確信をどうしても私は見出せなかった。だから、更に不安になったのだ。

つまり、4人でもやっいけてしまうという事を、余りにも主張してしまうことは、守っていたはずの場所を結果としてつぶしてしまうんじゃないか、なんて思ったりもした。

そんな時、絶妙のタイミングで「SMAPは5人でSMAPです」というコメントと共に紅白出場を辞退した。

このコメントが、地に気持ちが落ちかけていた私の救いになったのは言うまでもない。
また、そのコメントはSMAPのコメントであると同時に、事務所のコメントでもあった事に、実は安堵した。
事務所のコメントで安堵したなんて初めてだわ(爆)。

だけど、今になって冷静に振り返ってみると、中居・木村・草〓・香取それぞれは、確かに「守って」いたのであって「切り捨てる」事は微塵も考えていなかったように思う。そして、12月の終わり頃から、4人はちょっとずつ匂わせるような行動を開始しているのだ(この件は都合により後述)。

話を「4人でのライヴ」に戻すと、もちろん、ただ楽しかっただけではない部分もあった。
2番が飛んでしまう5つ揃わない「FIVE TRUE LOVE」が、心地悪かった。
けれど「がんばりましょう」の歌い出しでは、彼の不在をそんなには感じない自分がいた。
というか、毎年ライヴで「がんばりましょう」の時、吾郎ちゃんが最初の部分のソロを歌って「あああ、そうだったそうだった、吾郎だよ」と思って焦るので(笑)そこで毎回、「私にとって『がんばりましょう』の歌い出しは、やっぱり基本的には森くんでインプットされてるんだな」と実感したりする。

やはり私は忘れていないのだ、SMAPが6人だったことを。
別に森くんに復帰して欲しいと今も思ってるとか、SMAP脱退した事を責めたいとか、そんな事はもちろん考えていない。6人じゃないとSMAPじゃない!なんて言わないし、逆に今から復帰されると困ってしまうのが偽らざる心境なのだけど、その一方で、友達とSMAPの話をしている時に「6人がさぁ」と、素で言っちゃったりするし、うっかり素で「こっち2人だったら(多数決)2対4だね」なんて言っちゃうSMAPメンバーがやっぱり好きだったりする。

だから、私にとって「はだかの王様〜シブトクつよく」までのSMAPは、6人。
そして、「青いイナズマ」以降の曲は、6人で歌うというのは想像できない。
5人のSMAPは、6人だった時代があるからこその、存在だし、そこで途切れた別モノではないので、5人のSMAPになってからも、森くんのソロだった部分は誰かがフォローしてそれまでのシングルだって歌う。
これも「アタリマエ」のこと。
それが、私にとっての「SMAP」

その事を、改めて確信できたのは、2002年1月14日 緊急生放送のSMAP×SMAP。

実際に吾郎がその姿を現したのは22時42分頃の事だ。
その「演出」には賛否両論あったようだし、私も見ていてイライラしたりもした。そして演出過剰とも感じたけれど、それは必要悪だったよな、と思った。(「悪」なのか/笑)。

マスコミの心無い言葉や、曲げられた報道や、会見の時の質問だとかに腹を立てたりもした143日間。
報道のいくつかによって、4人はSMAPという「ホーム」を守っているのだと思っていても、その報道によって「本当に戻って来られるのかな、もう場所がなかったりしないかな」ってかなり不安定になったし、4人で続けられる番組やコンサートに、ふっと焦りを感じたりもした。

報道が必ずしも、好意的ではなかったし、あからさまな悪意もあったけれど…だからこそ。
「痛いファンだ」と言われるかもしれませんが、私は
「SMAPだということが原因で叩かれるなら、SMAPであることを利用して帰って来たってバチは当たらない!」
なんて思ってました。

4人で番組を続け、それぞれの個人活動をしていたけれど、封印されたままの「SMAP」
その、封印を解くためには、ある程度の儀式的な場が必要だったのだと思う。
そしてその「場」を作ることに対して、(この表現はあまり適切ではないかもだけど…)両者の利害が一致していたのだと思う。

それに、SMAPを名乗るヤツらはいつだって、決して、マスコミにただ一方的に「使われ」たりしない。
多分ファン以上に「マスコミ報道クソクラエ」って思っちゃってる人たち、だと思う。
(ただし、正攻法のアプローチに対しては紳士的。←細々色々とうるさいけど。たとえば「キムタク」と呼ぶような人に対しての木村さんの態度は、相手が小学生であってもお素敵です/笑)

だから、あのSMAP×SMAPでの「演出」も、別にあったって、いい。
あのくらいでは、SMAPは意思のないただの着せ替え人形になったりするとは、思わなかった。

たとえば、その1週間前の放送で「来週、吾郎が帰ってきます!」と言った時、「今まで『ゴローのゴの字も出すな!』って言われてたんだよ」とつるっと確信犯的に口を滑らせた中居とか(笑)。
単独で出演した「笑っていいとも」で表示された「56」の数字に、吾郎のクセを真似ておどけた木村は、SMAP×SMAPで「早く吾郎帰ってこないかな…」と(「ゴローのゴの字も出すな!」と言われていたにも関わらず)ぼそりとつぶやいてしまったりもする。
クリスマス特番に出ては「吾郎見てるか?」とアピールしてみたり、手の指で「5」「6」とやってみたり、他の出演者に「4人で出るのは最後じゃない?」と言われてニヤリとしたりもする。
そういう些細な嬉しいことを、沢山見てるから、あのくらいの演出ならば「クソクラエ」だと思うのだ。

それから、これは深読みしすぎかもしれないけれど、あの選曲。
前日の発表で、SMAPは生放送で3曲歌うと事前にわかっていた。
続報で、その3曲のうちの1曲が「'shake'」であると言う事がわかった。
始まって2曲は「BEST FRIEND」と「夜空ノムコウ」がまず歌われた。
実のところ、だから余計に、SMAPの曲の中から「'shake'」を選んだ意味がわからなかった。
盛り上がった雰囲気にしたいとしても、他にもっと、その場にふさわしい曲があるんじゃない?と思って、OA予定の曲目を知った時からずっと、アタマの中に疑問符があった。たとえば「俺たちに明日はある」でもいいじゃん?と思っていた。
「shake shake ブギーな胸騒ぎ/チョベリベリ最高ヒッピハッピーshake」とか言うより「照れや弱さ全部承知だよ/この世にお見舞いしてやれ」とか「不器用過ぎるハンドルで突っ込んで行くのさ」の方がいいじゃん?とか、そういう事(笑)。
けれど、実際はOAを見て、イントロが流れ出した時に「くそー。選曲したの誰だよ!やられたよ!(泣)」って思っちゃったんですよ、うっかりと。

実は「'shake'」は、ウラスマツアーの、アンコール1曲目の曲なのです。
そう、2001年9月22日、4人全員が吾郎プリントのど根性ガエルシャツ(笑)を着て出てきた曲。
4人で続けざるを得なくなったツアー中、SMAPは4人じゃなくて5人だって事を、あからさまに主張した、曲。
イントロが始まった時にイタズラを成功させた時のような表情だった4人の笑顔を思い出したのと同時に、本当の意味での「ウラスマツアー」の完結を見た気分だった。
だから、根拠はないんだけれど、選曲も自分たちでしていたんじゃないかと、思う。

番組の最初には、143日間の出来事をまとめたVTRが流された。
その中には、あの会見もあったし、4人のライブもあった。
痛い、部分も全部あった。4人で活動していた最中には、タブーのように触れなかった部分だった。
まず最初に、そこに踏み込んだのは「これから」のためにそれを「なかった事」にしないためだったのではないだろうかと思う。
消せない「ナニカガ、オカシイ」過去を、事実あった事として、認めて消化するためだった気がする。
5人も、ファンも。それが「弱味」になってしまわないように。

2002年1月14日22時40分頃「だっておかしいもん、4人って」という慎吾のコメントが流れた時に、なんとなく「だって、王様はハダカじゃないか!」と叫んだ寓話の少年を思い出した。

慎吾は、もう状況を考えないコドモではないから、それまで、そう叫ぶことはしなかったのだけれど。
ずっと言いたかった事なんだろうなって、思う言い方だった。
そして、ファンが一番、言いたかった言葉なのかもしれないなって、感じた。

4人ライブのオープニングに挨拶をする時、慎吾は、他のメンバーが、4人であることに触れていても「おっはー」と明るく言うだけの公演が多かったのだけど、それは決して、吾郎ちゃんのことが心配じゃなかったわけじゃないし、むしろ4人であることがどうしても飲みこめないままでいて、「だって王様はハダカじゃないか!」って叫んでしまいそうで、触れることが少なかったのではないか、と思う。
そして私。
SMAPを見ていて「おかしいもん、5人って」とは思わなくなっている。
「おかしいもん、4人って」とは、チカラ一杯、思う。

143日間を凝縮した映像から、4人の生出演映像に切り替わった時、まず彼らは名乗った。
「こんばんは、中居正広です」「木村拓哉です」「草〓剛です」「香取慎吾です」
それを聞いただけでは、別段はなんとも思わなかった。それが、意味を持ったのは、番組の最後まで見た時だ。

彼らは「中居正広」「木村拓哉」「稲垣吾郎」「草〓剛」「香取慎吾」でいることは、可能なのだ。
「森且行」が「森且行」であるようにひとりであっても可能だ。
けれど「SMAP」であるには、「FIVE TRUE LOVE」の全てのパーツが必要だと、思う。
きっと、だから、5人揃ったその日のエンディングの挨拶が「こんばんは、SMAPです」だったのだ。

「SMAPは、6人だった、現在5人のグループです」

…それが、私の、答え。

コメント

初めまして。FIVE TRUE LOVE、読みました。感動しました。私は、まだ中2です。SMAPが6人だったときを知りません。でも、ファンになって3年でSMAPのこと、一生懸命勉強しました。6人から5人になったこと、吾郎ちゃんが抜けていたときのこと、一生懸命、勉強しました。でないと、SMAPのことをちゃんとしれないような気がしたから。この、記事を読んで、まだまだSMAPのことわかってられていない自分に気付きました。でも、私は胸を張って言えます。SMAPが好きだと。恥ずかしくなんかないです。どんだけ、バカにされても、友だち減っても言います。SMAPが好きだから。私は、SMAPは6人グループであり、5人グループだと思います。森君の存在を否定することもないだろうし、5人の心の中には、いつも6人のSMAPがいると思うからです。

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