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›2001年07月01日(日)

ひとりじゃない

彼らは、前に進んでる。嵐は、まだまだ、進んで行くはず。
だからこそ「今」の彼らについても、書きたいなって思ったのは、この春コン最終日だった。
それにしては、書くのがちょっと、遅くなったけどね…ゴメン。

実は、グループを組んだ当初(と言っても1ヶ月くらいたった頃)に、ちょっとだけ嵐について書いた事がある。
その頃は、まだ見ぬ未来に対して、期待よりもちょっぴり不安が大きかったかもしれない。
ファンも、もしかしたら本人たちも。
私は、一生懸命、そんなことないよって、「未来は明るい」って、言い聞かせるように書いた気がする。

そして、やはり今も思う。「未来は明るい」のだ。


嵐結成の最初は、ひとりひとりが、何かを探しているように見えた。
もちろん、それぞれが初対面だったワケではないけれど。
一緒にコンサートもやったし、先輩のバックを勤めたこともあったけど。
「Jr.」って呼ばれるひとくくりの中に一緒に存在してはいたけれども。
Jr.時代にこの5人が「ひとくくり」になった事はなかった、はずで。
それぞれが、個体として、1対1でならば、きっと距離感も掴んでいたのだと思うけど、
5人の中のひとりずつ、となったら、距離感を取りなおさなくてはならない関係だったのだろう、と思う。

だけど気がついたら南の空の下、海に浮かぶ豪華客船の上で、旗を振っていて、
その旗には「嵐」って書いてあったりして。
そんな風に、嵐は始まったのだ。
彼らの中でも、ファンの中でも、まぎれもなく、それが始まり。

だから、最初は「ポジション取り」のような自己紹介だった。
もちろん、それはハジメマシテ!の視聴者に対しての親切心とか、まずは覚えてもらうという印象付けの一環でもあったはずだけれど、5人のお互いの距離だとか、役割だとかを、それぞれが計るためにも有効だったと思う。

彼らは、探っていた。
5人でいるための「心地よい」ポジションを。
嵐のダレダレ、としての、最適なバランスを。
だから最初は、個、だったと思う。個人が、適当な距離感を探りつつ、
「アイバ」「マツモト」「ニノミヤ」「オオノ」「サクライ」と言う、パズルのピースがキレイにはまる場所を、探してた。
その中で、こっそり立ち位置が変わったりもしつつ(笑)5人はちょこっとずつ「らしく」なって行った。
そして、ようやくポジションが決まった…かなーと言う時期。
2000年4月6日、大阪城ホール。
嵐は初めて、嵐としてコンサートをする。

ドラマ共演という形での、共同作業はあったのだけど、実はこれが「5人で団結して乗り越える」最初の壁だったのではないかと思う。

結成・デビュー以来、当面の目標であった「コンサート」をすること。
最初の壁を、彼らは、緊張感と勢いと「大丈夫、大丈夫」という呪文で乗り越えた気がする。
ひとりの力じゃない。だから大丈夫。
まだ、できたばかりの絆かもしれないけれど、大丈夫。
5人、一緒だから、大丈夫。
きっとひとりじゃないから、大丈夫。
その「大丈夫」には、もしかしたら確信なんてなかったけれど。
ひとりじゃない、5人だ、という意識はきっと生まれてて。
5人で「嵐」になろうと、していて。

だから、翔くんのソロは、最後嵐全員が揃ってのダンスに繋がったし。
だから、智くんは「ひとりじゃもたないと思って…」ソロのサイドにふたり(当初予定は4人みんなだったと「スッピンアラシ」で言ってますが)ついていたし。
だから、にののソロには、智がダンスとコーラスで、翔がピアノとコーラスで、相葉がブルースハープでバックアップしたし。
だから、相葉のソロには、にのがギターで、サポートしたし。
だから、松本は…あれ、松本は…?(笑)
松本は、コンサートの叩き台を作って、そして、みんなとディスカッションをして作り上げていくうちに、もう、ひとりじゃない事を、5人だって事を、イヤって程感じた、と思う。

そして、その「コンサート」は、自分たちだけではなくって、ファンのみんなも待っててくれたものだったと、彼らは実感して。
やり遂げた彼らは、最後に、5人で、並んで、言った。
「そして、俺たちが、嵐」
2000年の春は、そうして次の季節に、繋がって行ったのだ。

次の季節…彼らのはじめての夏は、もしかしたら、ちょっと苦い夏だったのかもしれない、と思う。
もしかしたらもうダメかもって、何度か思ってたかもしれない。

もちろん、彼らは立ち止らなかった。いや、立ち止っちゃいけない事を知ってた。
5人だから、絶対に絶対に、今度だって乗り越えられるときっと信じてた。
一生懸命だった夏。立ち止らなかった夏。
それは絶対に必要だった夏である、と思う。
順風満帆にいってたら、きっと他の何かを、なくしてしまっていたかもしれない。
実は、今はそんな風に、思うのだ。
少なくとも、2001年の春は、違ったものになっていたのではないかと思うのだ。

どうしたらいいんだろうって事を、もうこの夏には、話し合ったりもできたと思うから。
これが初めてのコンサートの時でなくてよかった、とも思うのだ。
自分達が「5人だ、5人なんだ」って言い聞かせてる時期ではなく、
5人が、5人になってからのできごとでよかった。
この夏は、ポジションを確保した彼らが、挑戦した夏だ。

だから、潤くんのソロでは、ふたつのイメージの違うナンバーをメドレーにしたし。
だから、にののソロでは、自作曲をコンサートでは初めて披露したし。
だから、智くんのソロでは、敢えて歌わずダンスだけで勝負したし。
だから、相葉のソロでは、伸びやかにその時気にいってる曲を歌ったし。
だから、翔くんのソロでは、ラップを前面に押し出していたし。

春の時点では、まだまだ「ポジション」を探ったりしてバランスを取ることを優先していたからか「個性」の主張はそれ程でもなかったのだけど、夏には自分達の「個」を、主張できるようになってたんだと、思う。
主張しても、大丈夫な絆ができていた、という事じゃないかって。
それぞれの得意分野が違ってて、それぞれを尊重でき始めていたからこそ、少々マニアックな自己主張をそれぞれがしてみた夏コンだった。
反応は、必ずしもの大絶賛だったわけではなかったけれども。

お台場での生ライブがあった直後に始まったコンサートだったから、余計にそんな反応を、本人達が痛いほど感じたであろうし、そのことが、結び目をより強固にできた夏だったと思う。
だから、はじめての夏は、ダメだった夏なんかじゃない。
5人で迎えた、最後の新しい季節だった夏は、ちょっぴりビターだったかもしれないけれど。

コンサートだけが総てじゃないのだけども「5人」を見るのに最適な空間・状況として、敢えて次は、2001年の春コンまで飛ぶ。えーっと。「松本しか見てないんじゃん」と言う抗議は却下です。

2001年の春は、全国(桜井的には「プチ全国」)ツアー。
ホールクラス(仙台・札幌・金沢・富山)、アリーナクラス(大阪・名古屋・福岡・広島)、そしてさいたまスーパーアリーナという、広さも見え方も、様々な会場で、見せ方に関して手を焼いたのではないかと思ったりも、する。がまぁその辺りはここでは置いておくとして…。

中でもたまアリは、今まで嵐がコンサートをしてきた会場と比べて段違いに広く、上にも高い会場だった。
その初日、ポップアップで出て来た彼らが相当戸惑ってる様子は、4階で見ている私にも伝わってきた。
表情なんて、はっきり見える距離ではなかったけど、それでもわかったほどに、困っていた。
勝手が、それまでの会場と、もしかしたら彼らの予想以上に、違ったのかもしれない。
今までのセオリーが通じないであろう事を、感じたのかもしれない。

これは、私の所感なんで、絶対的にそうだったとは言えないのだけど、たまアリ初回の嵐は、必死、だった気がしたりもするのね。
嵐は、がんばっちゃっていた。がんばることが悪いんじゃないけれど、余裕はなかった、と思う。
余裕と言うか、遊びの部分って言うか、とにかく「自分達が楽しむ」という意識よりも、「どうやってこの人数を盛り上げればいいんだろう」って事に意識が行ってて、盛り上げることに対して、必死になっていた、気がする。
その必死さが、見えちゃっていた、と思う。

だけど「楽しむこと」を彼らが思い出すのには、ちょっとした魔法だけでよかった。
コンサートをするという、魔法。
経験という、魔法。

嵐はもう知ってる。
初めてのコンサートの時と、2度目のコンサートの時に、実感している。

コンサート会場にいるみんなが敵なんかじゃない事を。
嵐を、とっても好きなことを。
それは、初めてのコンサートのオープニングで知ったこと。

一生懸命やって、それでもダメだったとしても、立ち上がれる事を。
甘やかさずに見守る目は、がんばりに対してやさしいことを。
それは、2度目のコンサートのエンディングで知ったこと。

自分は、ひとりじゃない事を。
嵐、だということを。
それは、少しずつ積み上げて、重ねて行った、彼らの軌跡で奇跡。

戸惑ってたたまアリ初回だったけれど、翌日は、その会場に合った見せ方だとか、煽りだとかを、あっと言う間に会得していた。
そして思い出していた、楽しむココロを。
ほんのちょっとのことでも、いいと思った事は実行して、変更する。
変わる事を恐れない、それが、嵐なんだなと、見ていて思った。
ファンを大好きでいてくれて、ファンのことを考えてくれてるなって、実感できた。

…だから今回、この文章を書きたいなって思ったのは、この春コン最終日だった。

春コンの最終日、Wアンコールの「はなさない!」を聞いた時だった。
♪僕たちにしかできない でっかいことしよう
そう彼らが歌った時だった。彼らならできると思った。だからこれからも未来を見ていたくなった。

春コンの最終日、代表して桜井翔が沢山のありがとうを伝えはじめた時だった。
スタッフと、マネージャーの名前をひとりずつ呼んで、叫んで、
彼らが「ありがとー」を、精一杯叫んだ時、一緒に「ありがとう」を自然に言ってた。

春コンの最終日、最後の最後に、彼らが横一列に並んで、しっかりと手を繋いで、
「そして、俺たちが、嵐」を、ファンのみんなと一緒に叫んだ後で、深々と頭を下げた。
その彼らの背中が、ステージより低い場所(アリーナ)にいたのに、見えた。
ひとりだけ、ベースボールシャツを着ていた松本の背番号だって、ばっちり見えてた。
その背中を見た時に、だから嵐が好きなんだわって、思った。

多分、なんだかわからないんだけど、その時々に、嵐のことが大好きだって思ったから、今の嵐のことを、書きたいなって思った。

彼らは、前に進んでる。嵐は、まだまだ、進んで行く。
舗装された道ではないかもしれないけれど。
時には、立ち止って振り向くかも知れないけれど。
大きな岩が、でーんと行く手を阻むことが、ないとも限らないけど。
乗り越えて、いけるんだ。
だってもう、ひとりじゃないから。