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›2000年08月03日(木)

キミは泣いてツヨくなる。

すばるについて。あくまでイチオシなので。だからこそ書きにくいんだけど。普段その時々に思うこと書いてるし。先日もちょこっと熱く語った(照)ばかりだし。

すばるって人について思うのは、真っ白だなって事。
この人ほど真っ白な人を、私は知らないなって思う。

以前、すばるが雑誌のインタビューで「嫉妬って感情がイヤだ」って言ってた事があって。
センテンス正しくは覚えてないのだけど、すばるは、そういう「負」の感情がヤだ、みたいなことを言ってた。
きっと、すばるは、この発言の頃、嫉妬(もしくは「負」の感情)に悩まされたのではないかって思った。そしてすばるは、そんな自分が許せなくなったのかなって。
「負」の感情ってのは、誰もが持ってるものだと思うし、持ってない方がおかしいし。赤ちゃんにだって、欲望はあるし、一点のシミさえもないまっさら人なんていないと思う。
でも、この言葉に対して「キレイごと言ってるんじゃないわよ」とは思えなくて。
「この子、潔癖過ぎて壊れちゃうんじゃないか」って心配した。

それが、渋谷すばるの本質だと、私が一番最初に感じた事項。今でもその考えは変わってないです。
その真っ白さは、これからも彼自身を傷つけ、そして彼自身を守るだろうと、思ってる。


すばるは、この冬の終わりから初夏にかけて、ひとつの脱皮をしたと思う。
彼は傷つき、泣いて(実際に涙を流したかどうか定かではないですけど。見たわけじゃないから)そして、強くなった。そう思うのです。最近の彼の表情や、雑誌記事を見ると。
今回は順を追って、その件に関して私が思うところを書くつもりです。


すばるは、東京進出した頃は関西のうるさい子、という認識をされていた、と思う。
私はその前の(関西ローカル番組に出ていた頃の)すばるを、オンタイムで見ていないのだけど、これは「変化」だったというコトは、東京進出以前からすばるを見つめていたファンの、例えばサイトにおいての発言とかにしょっちゅう書かれてた。
「すばるは東京に行って変わった」
それで、新しいファンも沢山ついたし、反面、昔からのファンは離れて行ったりもしたんだろうって思う。

すばるは、その時戦ってたと思う。
突然ポーンと放り出されるように全国進出してしまって、具体的に言ったらMステで1回、「愛してる愛してない」を歌った。それだけのことで激変してしまった取り巻く環境に負けない為には、がんばるしかなかった。
すばるが、その年の最後(1998年末)に言ってます。
「俺、1回Mステでちょっと歌っただけやで」
その言葉には、困惑があった。

その時のすばる…つまり「テンション高くて明るくてうるさいすばる」ってのは、鎧をつけてた状態だった。
その鎧ってのは、誰もがそういう環境におかれたら覚える「自己防衛手段」だと思う。
そして、その鎧をつけることがとっても下手くそだったのが、すばるだなって、今は思います。

すばるは、テンション高くって、ハッキリ言ってバラエティのトークとかで「出過ぎる」ことなんてしょっちゅうだった。
それを苦笑しながら見ていられたのは、私がすばるの事好きだったからだと思う。
きっと、すばるのことを好きじゃなかったら、とてつもなくウザく感じただろうし、実際そういう人だっていた。
すばるを知らなかった人で、そんな「出過ぎる」態度が目に付いて、苦手になっちゃった人だっていたと思う。
出る杭は打たれる。
この表現、ちょっと違うんだけど。一番近いかな。

だけど、半年ほどした頃だったかな。すばるが滝とよく一緒に取材受けてた頃のすばるのコメントで、しょっちゅう目に付いたもの。
「俺、普段はテンション低くくて、さっぶいで」
もしくは「すばるは、普段はおとなしいよ」とか、そういう第三者(滝も含む)のコメント。
私はこれを最初に読んだ時、実はとっても、怒ったのです。
キツいいい方のを承知で言えば、そのコメントは「プロ」として「甘え」だよって思った。

テンション上げて、もちろんそれも自分だけど。テレビカメラの前だと「自然に」テンション高くなって行くってコメントをしてたんだけど、やっぱり、それは「無理してる」姿でもあったと思うから。
すばるは、壊れてしまう限界線に来ていたのかもしれない。
だけど、最初に「鎧」をつけたのは、他でもない「すばる自身」だ。
「明るい」「元気」「テンション高い」「うるさい」
そんなキャラクターを、「渋谷すばる」に持たせ、それを「売り」にしておいて、苦しくなったから「弱音」を吐いたと感じたから。だから、その時は怒った。

最初から無理があった。そんなのはわかってる。
すばるって子が、弱くて、だけど強くて。
真っ白で、素直で、直線で。
鋭角だけど、攻撃的ではなくて。
針があって攻撃できるんだけど、決してそれを武器にしない、
作り出すのは角のないやわらかな線、つまり円を描く。
まるで「コンパス」みたいな子だって事、わかってた。
だけど、その無理を貫ける覚悟があってこそ、その「鎧」はつけるべきだった。
その時の私は、そう思ってた。

すばるを「プロ」として見て、すばる本人だけでなく、第三者にまで「実は、キャラ違います」って証言させて、舞台裏をさらすことが、許せなかった。
私のその時の怒りが何に対する怒りだったのか、正直なところ今でもよくわからない。
騙されたと思ったのでは決して、ない。
そんな弱音を吐かれたことが悔しかったのと、そこまで無理してたんだって思うと、辛くなった。
見てはいけない部分を見たと感じた。すばるの、まっさらな部分というか。
弱い、トコロを。
無理させる環境に、追い込んでたのかもしれないとも思った。
まわり、全てが。

すばるは、早く楽になりたかったんだと思う。
そして、滝や、翼や、周りにいた「仲間」たちは、すばるが限界にいる事なんて、とっくに気付いていたんだろう。
だから、出してたSOS(「ホンマはこんなキャラちゃうねん」)に対して、敏感に反応し、肯定のコメントを出してたのかもしれない。

で、結局すばるはこの発言以降、即ではなかったけれど、少しずつの方向転換を始めました。
まずは、しゃべらないキャラに。
本人は茶化して「しゃべらんキャラで行こうと思って」「コンサートのMCの感想で『もっと喋って』って言われて(作戦は成功したと)嬉しくなった」とか言ってる記事もあります。
コレに関しても一家言あったのだけど、もう解決したからいいや(訊きたい人は個人的に訊いてください/笑)

冬の終わりから、初夏の間。
すばるの露出は、それまでよりも格段に減りました。
私はすばるのファンですから、それなりに色々感じるところがあったし。
友達に泣き言も言ったし。
逆に、言えなかったりも、したし。
すばるが、雑誌やテレビやコンサートで見せる表情に一喜一憂してた。
好きでいることがキツくて痛くて辛かったりもした。
だけど、「すばる」が好きだからやっぱり、見放せなくって。
ちょっと泣いた(嘘、かなり泣いた/苦笑)。

時間はかかったけど、今のすばるはとってもいい感じになって来たと思うんだよね。
苦しんだ分、すばるの表情は、優しく強くなった気がする。

すばるがどう過ごしたのかは、ただ雑誌の記事とかから読み取れる事項によって想像するしかないのだけれど。
教科書以外の本を読んだことなかったすばるが、『五体不満足』を「おかんに薦められて」(送りつけられて?)読んだことが彼の意識を変えたりしたんだろうし。
大阪に帰り、「すばる」が「すばる」でいられる状況でしばらく過ごしたことによって、ずっとつけ続けていた鎧(防具)を、本当の意味でゆっくりと、ひとつひとつ外して行けたのだろうと思う。
(大阪でのオフの間「最初は帽子やサングラスをかけていたけど、友達から気にするなって言われて、最後は帽子もかぶらなくなった」って話が、実はとっても、嬉しかったりしました)
すばるが、時間をかけて自分で出した結論が、ここにあるなって。
Myojoと、tv kidsの記事を読んで、感じました。

渋谷すばるくん。
今はもう、夏真っ盛りです。
自分が「おでんの残り物のちっちゃくなったジャガイモ」ではないって事、
実感、できましたか?