›2007年07月04日(水)

シブトくつよく。

東京ドームでのコンサートの帰り道、混みあった橋の上で、真後ろにいた見知らぬふたりがこんな風に言っていた。
「仁くん、今日、最後の最後までいたね」
「そうそう、振り向いてばいばいってした。珍しいよね」
違うんだ。確かに去年は、コンサートの最後の曲が終ったら、振り返りもしないでさっさと舞台裏に消えてしまっていたけれど。
私にとっては、その姿の方がイレギュラーだったのだけれど。
そうだ、去年の最後の場面の記憶は振り返らないその背中、だった。
だから、もしかするとそのふたりにとっては、ああいう仁の姿は初めてだったのかもしれない。

彼が変わっていないことに対してあれこれ言ったり、彼が謝罪していないと主張している意見も沢山ネット上に見かけた。

私が、彼の味方でありたいと思うファンだからなのかもしれないけれど、別に半年の経験によって劇的に大きく変わる事は必要ない、と思う。
コンサートの最後に舞台裏に続く入り口のところで、ふと客席に振り返って、ちょっと笑って「ばいばい」とマイクを通さずに言う、その位でいいじゃない。
あとね、彼は謝ってなくなんてないですよ…ないですよね?(笑)。

とにもかくにも、赤西仁くん、23歳のお誕生日おめでとう。
誰かに何かを言われてもウソを絶対に吐かない(吐けない)、強くて自分に正直なそのままの貴方でいてください。
今日から始まる23歳の1年間も充実した素敵な日々となりますように。

›2007年04月13日(金)

君と僕の6ヶ月

6ヶ月が、過ぎました。
今月はあの時と、曜日が同じです。

HDDの整理をしていて、残したままになっていた少年倶楽部の「BUTTERFLY」を見ました。
その時、ちゃんと仁が歌っている姿を見るのは久しぶりだと言う事に気がついた。
そんなつもりはなかったけれど、もしかしたら無意識に避けていたのかもしれないと思いました。

「でも君との思い出は消えないさ 今もこの胸に」

14日に、仁がいないKAT-TUNコンに行きます。
私は多分、仁の声を探すでしょう。
いないとわかっていて探すでしょう。

最初からいなかった曲では仁の声は探さないし、もしも歌っていたら…なんて思わないけれど。
(それは「ONE ON ONE」や「SPECIAL HAPPINESS」に仁の声を探さないのと同じ感覚)
耳に馴染んでいる曲を聴いたら、仁の声を探すでしょう。

上書きされないように、戻ってきたらCDを聴くかDVDを見るでしょう。

最初から6人であるという可能性を思ってではなく、KAT-TUNのコンサートに行きたいと思っただけだと断言できるけれど(私はコンサートが発表された時点で「6人かも」という期待は持たなかったので)、一方で、彼の声のない既存曲を聴く可能性について、その時点でちゃんと分かっているつもりでも、しっかり実感として理解できていたかどうかは怪しいかもしれない。

だけど仁のパートを他の誰かが歌っていても「間違い」だなんて言わない。それが今現在の「KAT-TUN」であることは否定できないから。
KAT-TUNはK・A・T・T・U・Nの6人だと勿論思っている。そこを疑ったことはないけれど。そこに存在しない人間に妙な義理立てをする必要はないと、思う。
そんな気持ちを説明するのは、困難だけれど。多分なかなか伝わらないだろうけれど。

まだ、それぞれの結論は先延ばしにされたままだろうか。

未来は変わるものだから、未来への約束を信じていいのか。
そもそも、未来への約束は存在するのか。
仁は、約束などしなかったのではなかったか。

「手ぇ挙げろ…約束!」

そう、あの時みたいなきっぱりとした約束なんてしなかった。

だけど未来は変わるものだから。
未来の約束なんてなくたって。

代わりなんていないから。
代わりなんていらないから。
代わりなんて誰にもできないから。

6ヶ月という時間を過ごして、変わってなくて。
世界はそんなに変わってなくて。
気持ちはもっと変わってなくて。
まだまだ「過去の人」にはしていないから。

5人を否定したくない。
1人を排除してしまいたくはない。
6人ひとまとめに固執したくない。

誰でもいいわけじゃない。
5人がいいわけじゃない。
6人じゃないとだめなわけでもない。
…だけど本当は6人がいい。

「どうしても君がいい 痛みばかりが増えても」

キャリアを積んだ5人と、別の場所でそのキャリアに関しては休んで別の経験値を積んだ(はずの)1人。
元の席はもうなくて、以前より先の未来に進んでいたとして、そこに追いつくチカラを持っているならば、再びそこに戻れば良い。
だけどチカラが足りなかったら、そこに戻れるようにすれば良い。
簡単に戻れるなんて思わない。
けれど、戻るチカラがない人だなんて思わない。

あの時「君と僕」の「6ヶ月」ではなくて「君」と「僕」の「6ヶ月」を選択した。
その事は間違ってなかったんだろうと思う。どんな結末が待っていても。
思い描いたような未来でなかったとしても。

それでも戻って来なかったらどうしよう、と思う。
戻ってくるよ、と自信に満ち溢れた状態で言えない。
だけど矛盾しているけれど、戻って来ないはずはない、と心の奥底では思っている。
だから、戻って来ないよと諦めたりはしない。

「あの日俺たちが信じた夢 刻むハルカナ約束」

›2006年10月19日(木)

未来は君の手の中に。

大まかな気持ちはオンタイムで書き散らかした感もあるんですが、やっぱりこちらにも書き残しておこうと思います。とりあえず第一弾(え?)。

いつもだったら、朝PCを立ち上げる時間なんてないのに、その日に限ってちょっとだけ時間に余裕があってPCを立ち上げたら(その結果ギリギリどころかヤバい時間になってしまったのだけれども)休止、と言う言葉が目に留まった。
いくつか見たそれは、報道を目にしたファンの書いたひとことで、blogのカテゴリがそれが仁の事だと示していた。
携帯には、私を心配してくれた友達からの言葉が届いていて、相方は電話でその時点で分かる限りの「事の顛末」を教えてくれた。

それから公式コメントが事務所から出て、仁が会見して、それぞれに対して色んなことを考えて、あの時言っていたのはもしかしたらこのことだったのかしら、と自分勝手に過去と現在をつなぎ合わせてみたりもして、でも突き詰めたらそんな「派生物」はどうでも良くて、物事はとってもシンプルで。

仁がKAT-TUNの活動を休止すること。
なんだかんだ言って私は仁が好きなこと。

分かったことはこの二つじゃん、って。そういう結論になってしまった。

もちろん、思う事も思った事も考えた事も色々あるんだけれど(だからそれを書けよ、と自分に対して思ったりもするけれど)、今更かなぁ。そういうことって思った時にその勢いで書かないとダメだわ。冷静になったら書けない事なんだよなって思う。

とか言って、本当に何も書かないとこの文章を書く意味がないので(笑)。

実は、仁の言葉で本人から聞きたいって多くの人が表明していた頃に(=まだ会見すると発表がなかった時)私は会見なんかなくていいよって思っていたのね。それ言ったら窘められたんだけど(そりゃそうだ)。
それは、仁が嘘を吐くかもしれないという恐怖からだったんだろうなーって今になって思う。何が怖いって、私は嘘を吐く赤西仁を見るかもしれない事が怖かった。言えないことがあるのはいい、言わないことがあるのもいい、だけど明らかな嘘だけは聞きたくなかった。そしてまだ仁の気持ちにぐらぐらとした揺らぎがあったらどうしようと思っていた。
今となっては杞憂だったんですけどね。そもそも、仁本人が「会見したい」と言ったのだから当たり前かな。

だから会見に関する事を書いた時にもちょっと書いたけど「迷いはありません」って言葉がやっぱり一番嬉しくて、うっかり泣いてしまった。涙に理由が必要ならば、杞憂だったことへの安心感と、ほんの少しの寂しさ、かな。

きっと、今回の件を決心するまでは迷ったり悩んだりもしたんだろうけれど、でもこの会見の時点で「迷いはない」って言い切っていて、きっぱりと言い切ったその言葉に、覚悟と本気を感じた。
いつから、本格的に傾いて迷ったかなんて、色んなことから解釈したり想像したりはできるかもしれないけれど、事実はわからない。きっとそんなの仁本人だって、決定的にこれがきっかけですって言えないと思うし(最終的に決め手になった事ならば自覚できているかもしれないけれど)どうだっていいじゃない。理由なんていらないのよ、どうしたいかという結論さえ迷いないならそれでいい。
仕事に関しても、私は割とずっと静観してきたし(巷を騒がせたバレーの時もほとんど言及してないのよね、髪の色についてだけはしつこく書いたけど/笑)、今回も今までも仁が仕事を投げた、とは思ってないの。ごめんね、いつも厳しい事言ってる割に変なところだけ甘くて(笑)。

本気で考えて、悩んだ上で出した結論で。
だからこそ、脱退も解散も「(自分の)頭にはなく」ても、帰ってくるかと言う問いには(自分だけの問題じゃないから)明言できない。そんな事も全て覚悟の上で、それでもこの選択をしたのだろうなって。
それまでに、仁と周囲の色んな立場の人たちとの間で、どんな話合いをしてどんな歩み寄りがあったか、あるいは歩み寄れなかったかなんて今の時点では分からないことで。そして今回の選択の結果なんて何年か後まで分からないだろうし、分からなくてもいいやって思う。

先の事なんてわからない。でも、きっときっと何もかも上手くいくよ。根拠なんてないけれど。うん、だってファンはタレントに似るんだもん(笑)。