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›2001年08月30日(木)

DANGAN-LINER

夏のはじめに「一生をかける3ヶ月」と彼は言った。
松本潤は、21世紀最初の夏を初の主演ドラマ「金田一少年の事件簿」の撮影でを過ごし、その夏の終わり…2001年8月30日、18歳の誕生日を迎えた。

いいわけから入りますが(長文面倒な方、このパラグラフは読み飛ばしても大丈夫です)、実は、彼のことを書こうとするのは初めてではなかったりします。
今までに何度も、何度もAbout 松本潤を書こうとしたかわからない。はっきり覚えているのは去年の夏コンの直後、そして今年の春コンの中盤(名古屋公演直後)とツアー最終日の直後。それが、彼の身に何があった時なのかは、松本潤を見ている人にはわかってしまうでしょう。
でも、その時には書けなかった。潤くんはそのことを、ずっとずっと隠していたし(この春は、智との対談で微妙に自らその件に触れています)、だとしたらいちファンである私が、個人サイトとはいえ「誰でも見ようとしたら見られる」ところに発表してしまう事はできないと思ったことも一因であり、もうひとつ。
私は、松本潤のこと「ワタシ視点」でわかっているつもりの部分だってあるのだけど、それはどこかで語り尽くされた松本潤でしかない気がする。だったら私がここに書く必要はない気がしていて、書くことができなかった。
それで最初に思い立った時からズルズル1年が過ぎてしまった。だから、18歳の松本潤について、つらつらと、今日はこの文章を書きます…分析じゃなくなりそうです、それを期待してる方ゴメンナサイ(←先に謝る>卑怯〜)。

ドラマのスタッフが「松本潤くんは目標を常に高く置く人」と言っていた。
無理な注文をしても、やり遂げる根性のあるヤツでいじめがいがある、と言われていた。
そういえば、絶対に無理そうな事であったとしても、彼が本当に無理だった事なんてない気がする。
見ているこっち側でハラハラして「大丈夫かな」と心配していても、彼は必ずやってのける。
そう、潤くんはいつだって、その遥か遠くに設定したはずの目標に到達してしまうのだ。

彼は絶対に与えられた課題をやってみないうちからできないとは判断しないし、諦めない。
逆に、無理そうな課題の方がやりがいがある、と言わんばかりの負けず嫌いなカオをする。
かと言って松本潤が常に自信に満ち溢れているかって言えば、それは違う(そういう時に「根拠のない自信」を持っているのは、本人も申告している通り相葉だろうと思う)。
どちらかと言えば、許容量を越えて背負い込んでしまって、必ずその過程では考え込んでいる感じがする。
感情が出やすい性質でもあるから、ちょっと気にかけてみていれば感じ取れてしまう部分だって結構沢山ある。
その姿に余裕があるかと言ったら、決してないし、じたばたしてる子だな、という印象がある。
だけどその、じたばたしてる姿を彼は隠さない。
がむしゃらになってがんばっている姿を見られることを恥とは思っていない、と思う。
多分、それよりも彼にとっては「手を抜く」事を恥じる精神が彼にはある。
だから自分が何らかの原因で、その時のチカラ総てを出しきれない事が、とてもイヤなんだろうと思う。
そして、彼はいつだって「直球勝負」で挑んでいる。

じゃあ「たとえば」松本潤がコンサートの時期に怪我をしていたいたとしよう。
プロなのだから当然なのだけど、彼は、決してそんなそぶりは見せないのだ。
むしろ怪我している事に気がつかれないように、するのである。
ファンっていうのは、ホントにすごく集中して見ているから気がついてしまうだろうけれど、それでも彼は、そう振舞うのだ。
怪我をしている事は、彼にとって「できない」ことのイイワケにはならないのだ。
痛みがあったとしても、その2時間半は、怪我なんてないように、
いつも通り、もしかしたらいつも以上に、飛ぶし、走るし、踊るし、笑う、のだ。

では「たとえば」松本潤が、怪我をおしてコンサートをしていて、ある日その怪我を悪化させたとしよう。
その怪我は、見ているファンにはどう無理に隠したってわかる程ヒドイものだったとしよう。
ステージ上で、突然どうにもこうにも、思う通りに怪我した部分が動かなくなったと仮定しよう。
見ていても「踊るのは、走るのは、動くのは無理だろう」という状態になってしまったと、しよう。
それでも彼は、動くのだ。
いつも通り、もしかしたらいつも以上に、飛ぶし、走るし、踊るし、笑う、のだ。
そのコンサートをやり遂げることしかきっと、考えないのだ。

松本潤はそういうヤツなんだ。
「できません」なんて言わないから、だから彼は「できる」のだと思う。

金田一SPで、潤くんが「はじめちゃん」役に決まったと発表された時。
初主演である事も、そして「金田一」であることも、プレッシャーにならないはずもなく。
きっと彼は思いきりもがいてその2時間ドラマを完成させた。
…後に彼は、完成してすぐには見られなかったと言っている。
連ドラになると決まった時に、やっと冷静に見ることができたと、後に語った。

ロケで、雪の中を走る場面。
一度OKの出た場面だったけれど、内藤剛史さんの芝居を見て、自らやりなおしを申し出た。
そんな風にその時の精一杯を込めた作品だった。でも彼は、決して、自分を甘やかさない。
連ドラが決まったのはSPが好評だったからだという話の時も「合格点ギリギリ」もらえたと思ったと語った。

松本潤が、せいいっぱいやった事はOAを見て伝わてきた。
けれど、「金田一SP」について語る歯切れの悪さからは、「もっと、できたはずだった」という悔しさが、にじみ出ていた。
彼の目標は、ファンが思うより、ずっとずっと上にあったのかもしれない。

多分、彼は「結果がすべて」であることを知っていて。
過去仮定である「〜だったかもしれない」にはまったく意味がない事を知っている。
だけど、目標地点は、さらに遠く高く、設定するのだ。
背伸びして届く程度のところになど、カッコ悪くて絶対置かないのだ。
こっちが見ていてハラハラする程、ムリをしなくちゃ届かない目標を常に設定するのだ。
もちろんそれは、クリアするために、設定するのだ。
できなかったら、自己嫌悪のカオをするのだ。

クリアできない時の努力には、意味がない世界で生きている事を知っている。
だから、その結果を出すために全力の努力を惜しまないのだ。

そして、その高いハードルに向かう彼を見て、私は心配しながら、いつも最後には思い出す。
そうだ、松本潤は、いつだって期待以上のことを打ち出して来るヤツだったじゃないか、って。
心配しなくたって、大丈夫なんだって。
守りに入るなんて言葉は、彼にはないんだ、って。
だから、松本潤を、好きなんだなって。

「金田一少年の事件簿」は彼にとってファンにとって大切な番組になる。
だって、そんな松本潤が「一生をかける3ヶ月」にすると言った番組なのだから。
17歳から18歳へのひと夏すべてを、全力で注ぎ込んで作ったモノなのだから。

彼は、高いハードルでも決してその瞳を逸らさない。
まっすぐに、いつも、戦っている。
まっすぐしか知らないから、時に、傷つきながら。

だけど変化球は覚えなくていいんだ。
それがあなたの、松本潤の、最大の武器だから。