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›2008年05月14日(水)

Keep the faith

本当は話の枕だったはずが、それだけで割と長く(そして予想外に重い内容に)なってしまって、結局全く違うエントリになってしまった…というのがひとつ前の文章です。それをずっと一番上に置いておくのもなんだか入り口にそぐわない気がするので、できるだけ速やかに過去ログに仕舞いたい…さ、がんばって更新しますか!

で、結局本当は何が言いたかったのかっていうと、簡単に人は分かり合えないかもしれないけれど、私の思う中丸くんもKAT-TUNのメンバーも、それぞれがけっこうすげーいいやつですよ?とかそういうことです。首お大事に。私も明日は整体です。

世界の終わりと…?

私が「世界」から零れ落ちた最初はいつだったのだろうって考える。きっと2006年3月17日だと思う。それ以前もうまく馴染んでいるとは言い難い状態ではあったけれど、この日を境に私は「世界」に繋がり続ける事に対して諦めるようになった。
それでもしばらくの間その「世界」となんとか端っこだけでも繋がっていようと多少は足掻いた。足掻いたけれど、うまくいかなかった。努力が足りなかったのかもしれないし、持ち合わせた資質に何かが足りないか多いかして標準値から外れたのかもしれない。
否、本当は最初から「世界」に私など存在していなかったのではないか、とも思う。

もしかしたら、実は「世界」なんて皆の幻想で、実はどこにも存在していないのかもしれない。
(いや、そんなことはない。きっと「世界」は存在しているはずだ)。

私はその「世界」でファンの総意だと(信じられて)高らかに語られている言葉たちと、それに群がる称賛に対して、同意の挙手をすることができないことが多い。それが重大かつ決定的な欠点のような気がしてしまうのは、他人と違うことが不安で皆と同じであれば大丈夫だと安心する考え方が強く根付いているからなんだろう。みんなと一緒の安心感が大事。カラスだって、総意が白いといえば白いのだ。そうして「世界」の均衡が保たれる。だから、「世界」にしがみついていたいならば、たとえスターが裸で踊っていても、「ストリップ!」なんて口にしてはいけない。こっそり思うのは勝手だけれど。物語の中でそれと似た指摘をした少年のように、皆が勇敢だと支持してくれるとは限らない。異質な意見なぞ、どちらかと言うと疎んじがられることが多い。そう、空気を読んで一番多くの人が支持している意見に沿った意見を述べてさえいれば、誰も傷つかないし、何より自分が傷つくこともない。
…いや、まぁそれはそれとして、だからそんな世の中で必要とされているのは、きっとそういう総意(と信じられているもの)と、それに沿う意見だけだと感じたので、私は言葉を綴る事を少しの間止めてみた。だけど、そうした事によって私が得られたのは、口を噤めば「世界」の端っこに繋がっていられるワケでもないという理解だけだった。

だとしたら、そんな「世界」の総意を窺う必要はないのではないかと云うのが結論めいたもので、そうなるとあちこちで情報を収集しなくても良く(所謂「総意」が何かを汲み取る必要がないから)、もっと気軽に綴ればいいんじゃないか、なんて。しかし気軽に綴るなんて言いながら、もうこの結論に至るまでがなんて重い文章なんだっていう話。

もしかしたら、実は「世界」なんて皆の幻想で、実はどこにも存在していないのかもしれない。
(いや、きっと「世界」は存在している。けれども群の中にみんなといれば安心というのは幻想…?)。