ソワレ(18:00公演)を観劇する機会に恵まれ、補助列という会場の一番後ろの列で観劇しました。つまり追加で作られたパイプ椅子の席です。でも一番センター寄りの席で、観易い良いお席でした。
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細かい表情は肉眼では無理だったのでどうしても表情を観たい時だけはオペラグラスを使いましたけど、9割は肉眼でOKだったもん。
公演終わってるからネタバレ配慮する必要はないかもしれないんですがContinue readingにしておきます。
映画は観たことがなかったのでこの「理由なき反抗」が、私にとって人生初の「理由なき反抗」でした。観劇前に知っていた事は「プラネタリウムが出てくること」「赤いスィングトップをプレイトーに羽織らせる場面があること」「救いのない結末であること」の3つだけ。なぜプラネタリウムを知ってたかって、それは「ディーン」というミュージカルを知っていたからです(ジェームス・ディーンの出演した映画の一場面を再現する場面がある)。
そして、その「理由なき反抗」は、心から、本気のスタンディング・オベイションをした、そんな数少ない舞台の一つになりました。
偉そうな言い方になるのは承知だけれども、二宮が最初に出てきた場面で酔っ払って客席に背中を見せていた時(実際は酔ってフラフラしている場面だったので背中だけを見せていたワケではないが)この芝居決まったな、と思った。
前回主演した舞台「シブヤから遠く離れて」の時も、ナオヤの登場は背中を客席に向けていて(最前列など一部の人からは背中ではなくて正面が見えていたはず)、その時も幕開きのその背中を見た瞬間にぞわっと鳥肌が立って怖さにも似た期待を感じたのだけれど、きっと二宮には幕開き最初から死角(役としての)がないのだと思う。だから、いきなり背中でもそれは「二宮」ではなくて「ナオヤ」で「ジム」としてそこにいる。ゲームニッキで「開演までロビーが映されたモニターを見ていた」なんて書いていたけれど、それでもこの人は幕が開いた途端に素の「ニノミヤカズナリ」ではなくなる人なのだろうな、と。
だから最後の場面で咆哮し、暗転。再びスポットが当たった瞬間、そこにもう「ジム」はいない。
確かに数秒前「ジム」がいた場所には、笑顔の「二宮和也」が存在していて、2時間自分が観て来たものは夢だったのかもしれないと思うほど。だけど、確かに「観た」心地良い疲れがあって(今回は決して心地良い結末ではないのだけれどね/苦笑)、そんな最高級の裏切りに嬉しくなってしまう。怖い役者だなぁって思うんだけど、そんな役者を観れた時はホントに嬉しいんだよね。今回、ますます「舞台の二宮和也」に対しての信頼感が増しました。客席でスタンディング・オベイションしてすっげー拍手する事くらいしかできないのがもどかしい程「うわっ、どうやったらこのありがとうの気持ちが伝わるんだろ?」って思ったのは久々だったもん。
話は戻りますが、プレイトーが撃たれた後にジムが「タップ教えてやるよ…」と言ったところで泣いちゃったんですよ。もう、自分でも「やべぇ、大丈夫か私?」と自分でも心配するくらいに涙腺の堤防が崩壊したような状態。確かに悲しい結末だったけれども、物語の展開がどうこうと言うよりジムの感情にずるっと引き摺られてしまったのだと思う。ここは辛くてジムの表情をオペラグラスを使って観ることができなかったし(本当は表情を観たかった。多分「ただ泣いてる」んじゃなかったと思うから)。自分もその「1955年アメリカの、事件のあった街角」に傍観者として一緒に佇んでいる感じになっていたので「客席を巻き込む」意図に乗っかれたという事かな?
だから、千秋楽でもないのにカーテンコールが何度も何度もあったことにも頷けます。
2度、3度、4度…ホント最後には何度目かわかんなかったくらい何度も二宮が出て来て、キャストを呼んで(この呼ぶポーズがおちゃらけた感じなんだコレが!とっても二宮なんだ!)お辞儀して。
そのうちの1度は、プレイトーが赤いスィングトップを羽織って出て来てみんなから突っ込まれて(ジムの母親まで突っ込んでた/笑)たりなんていうおふざけもあって、カンパニーの雰囲気の良さがビンビン伝わって来ました。
全体的な話。
劇場は、25列まで(補助列が26列)ある小劇場というには大きい会場。そこでマイクを通さないで芝居は進行する。その状態で、一番後ろの列までセリフが明瞭に届かなくてはならない。
今回、まさにその「一番後ろ」で観たのだけれど、叫んでいるような激しい感情をぶつけた言葉も、囁き声や絞り出したかすれ声に至るまで聞き取りにくいセリフはなかった。だけど確かに「叫び」「囁き」「かすれて」いた。
つまりそれは、会場の一番後ろにまでちゃんと意図した声が届くような出し方を理性でコントロールしながら芝居をしているという事。もちろんそれは、舞台で芝居する人としてはできて当然の基本ではあるのだけれど、過不足なくできる人って少ないんだよね(こそっ)。それができる二宮は、だからやっぱり「舞台役者」が向いてるんだと思う。
そして役者に関しては不満はなかったのだけれど、どうしてもイラっとして仕方なかった事。
まず何よりも一番イヤだったのは「1955年、アメリカ」という場に相応しくないアドリブ…。
それが作風なのだから!と言われてしまうのかもしれませんが、大阪の地名などかバンバン出て来たり日本食が夕食のメニューとして挙げられたりするのは頂けなかった。大阪公演だから余計に「サービス」としてあったのかもしれないけれど、正直ギャグとして入れられたそれらで笑えたモノはひとつもなかったし、邪魔だったのよ(斬)。ただし訛った口調については(英語にも訛りはあるし)アリなのだけれど。
変に笑いを取ろうとしなくていいんじゃないかなぁ、と思うんですけどね。
そしてもうひとつ。映像で色々な状況を処理してしまうことは避けて欲しかった。
チキンレースだって、照明を工夫したりすることで(実際に車はなくても)表現することは可能だよね。どうしても絵として欲しいのだったら、それこそ「SHOCK」での橋でのバイク事故演出のような形ででもできたんじゃない?客席を有効に使いたい巻き込みたいのであれば、ジュディが街を彷徨う場面は実際に客席通路を歩けばいいんじゃないの?(それが最良とは限らないのですが、可能性として)。
舞台で上演する以上、映像で片付ける事はして欲しくなかったなぁ…。
ただし、もし映像によってナマの芝居がもっとちゃんと生きてくるという形で取り入れられていたら、違う感想を持てたかもしれないんだけど…もしかして私が映画を観ていないから解らないだけで、実は映画と映像が凝った感じにリンクしていたりしたんでしょうか。でも、今回のは「ナマの劇場という空間では表現するのが難しいことは全部映像にしちゃえばいいや」という感じにしか見えなかったし、キーポイントになる場面や心理表現を映像やナレーションで作ってスクリーンに流すのでは、演劇として世界初の上演をする必要性がなくなっちゃうじゃんね?
客席空間も、芝居進行に使うことと、それが見え辛い場所を考慮してスクリーンに客席で行われている芝居を映していた手法は良かったんですけどね(そしてその時に「ナマでやってんのに録画だと思われるじゃねーかよ!」と突っ込んだりするアドリブは面白かったし、あっても気にならない)。
堤監督を否定しているつもりはないけれど、舞台を己のフィールドとしている方が演出家だったならこの作品をどう演出したのか、観てみたかった気がします。
結論。
やっぱり二宮はこれからもできるだけ舞台やってくれないかな?…なんて言ったら担当外が無責任に!って怒られそうなのだけれど(笑)やっぱり二宮の芝居はお金を払って劇場に行くという果てしない労力を使ってでも観たい人だ。だって怖いくらいに役者だから。
まぁ資金に困らない程度の間隔を持って嵐コンの日程もキープした上で(じゃないと嵐担の暴動が怖いので/爆)、東京だけじゃなくてできれば地方…は無理でもせめて大阪公演があると非常にありがたいんですけどね。困るのはチケットが取れるかどうかっていう点なのだけど、それは何とかして行きますから!(力拳)。
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