« コンサート中は(BlogPet) | メイン | こっそり? »

›2007年02月09日(金)

It's not over yet.

アンケートで語りネタを頂きました。Eden(別館)に書いた方がいいかもしれないけれど、ここ(本家)に書きます(ますますEdenの存在意義が揺らぐなぁ/苦笑)。
そして書いたら思いの他、長くなってしまいました…覚悟してね?

ものすごい勢いで人気急上昇のエイトさんですが、それに対して思われてることがあればお伺いしたいです。

頂いたお題に「関ジャニ∞について語って欲しい」という意見が多かったのも、時流でしょうか。
そういえば、ここ1~2年関ジャニ∞の舞台やコンサートに単身で参加していないんですよ(以前は関ジャニ∞絡みでは単身行動が常でした)。今や、場合によっては4人以上になるから二手に別れましょう!なんて事もありますからね。
そして、一緒にコンサートや舞台に行くのは、以前からの友達なんだよね。なんかね、そういうのが凄く嬉しい。ひとりで行くのが嫌だったとかそういうことじゃなくて(実はソロ活動も平気なタイプなのです)、友達に「関ジャニ∞いいよね!」と思ってる人が増えたってことが、単純にね、嬉しいんですよ。

あと、去年は急にチケットが余った事があって、ジャニーズファンではない友達的後輩がそのちょっと前にお茶(呑み?)した時に「関ジャニ∞のコンサートに行ってみたいんですよ~」と言っていたのを思い出して声をかけたら都合つけて駆けつけてくれて、まぁコントがエグかった回 *1 なのでそれにはちょっと退きつつも(笑)全体的に楽しかった!と言ってくれて、更には「おにぎし」が良かった!と言ってくれたりなんかして、いやまぁそれは彼女は私がすばるのファンだと知っているから気を遣ってくれたのかもしれませんけれども(一応先輩だしね!/笑)、それでも関ジャニ∞のコンサートを楽しんでくれたのは社交辞令抜きの事実のようだったので、凄く凄く嬉しかったのです。

そうそう余談ですが、その後輩が関ジャニ∞をナマで見てみたい!と思ったきっかけの曲がどうやら「∞SAKAおばちゃんROCK」だったようなんですよ。確かそんな話を聞いた記憶があるんですが(違ったらどうしよう…)、割と関ジャニ∞やジャニーズのファン界隈の人たちって、今までの∞のシングル曲のラインに対してリリースが決まる度に「またそういう曲かよ~」的意見を書いてるのを見かける気がするのね。
でも、実は私はあの路線でシングルを出し続けているって言うのはアリだと思っている部分があったりします。
もちろん、∞だってああいうコミックソング的な曲だけじゃなくて、もう泣けて仕方ない素敵なバラードだったり、キュンっとするラブソングだったり、CDになっていない名曲だって沢山あるんだけれど、そういう曲を(少なくとも今の時点では)シングルとして出さなくてもいいんじゃないかって思ってる。むしろ、個人的には今の路線でいけるところまでは貫いていって欲しいくらいだったりします。いわゆる「フツーの曲」よりも絶対印象的だもん。そして楽しい。その方が何かと得なのではないかと思うのよねー。

更に余談ついでで曲の事言うとね、関ジャニ∞のデビューが決まった時に、私がすばるのファンだと知る友達の多くは「良かったね!おめでとう!」とメッセージをくれたのだけれど、中には「あんな曲でデビューなんて酷い話だね」というメッセージも貰ったのよ。
だけど、私はすばるが関ジャニ∞としてデビューして、歌声が収録されたCDが発売されるんだ!ってだけで胸がいっぱいになったし、演歌だからなんて事は全く気にならなかったなぁ…。もう、CDが出るまでの一連や(出ますーっていう告知とか店頭のPOPとかそういうものたち)、実際に店頭で並んだのを目にした時とか、いちいち嬉しくて泣けてしょうがなかったもんね。

と、なんだか振って頂いたお題からぐんぐん離れてきてますね。反省。話を戻そう。

人気急上昇している、というのはもう本当に嬉しいです。
ライブでの最低限のマナーとかルールが守れないかわいそうな人たちが増えたようだというのはちょっと困った問題ですけれど、席を離れて駆け寄ったりしているのが最近ファンになった人たちとは限らないからね。新規ファンだけを責める問題ではないから、全く無関係ともいえない部分はあるかもしれないけれど人気急上昇とは別の問題だと思ってます。
誰もが言う事なのだと思うけれど松竹座1年目の夏は決して多くない1000席が空席だらけだった。その松竹座が彼らにとって小さすぎるハコになって、ホールクラスのツアーでもアリーナクラスのライブでもチケットが取れにくくなっているのも、困りつつ嬉しい事態です(まぁ、自分が今のところ幸運にも全く観られなかった事がないからかもしれないけれど)。
すばるが歌っている、それだけで嬉しいけれど(うん、私は所詮渋谷すばるファンだからね)だから去年の夏はとっても大切だった…って、これは今回一緒に語るべきことじゃないよね。自粛自粛。また後日。

でね、人気の事と切り離せない事なんだけど、ネットで界隈を見ている限りではちょっと異質だと思うし、うまくまとまらなくて誤解されそうだと危惧している部分もあって今まで書かなかった事なのだけれど、最近思っている事としては、関ジャニ∞の文字にすると「8→1」となるものが、皆の重圧や枷になってしまわなければいいのだけれど…と言う事です。

「関ジャニ∞」の根底に、8人というベースがあるのは確か。
だからもちろん「8→1」という重い3文字に込められている意味を忘れる必要はないし、ずっとその気持ちは持っていて欲しいけれど。

「8→1」と言うのは、名乗る時に「関ジャニ∞の誰々」と名乗って良い人はこの世の中に8人いるということだと思う。そして、過去を消すつもりも、消していい権利もない(そもそも過去は消せない)。けれど、もしもこの先の活動をずっと7人でやっていかなくなはならないのだとしたら…万が一そういう未来が待っているのだとしたら、頑なに「関ジャニ∞は8人じゃないとダメ!」としがみつき続ける事は必ずしも良い事ではないかもしれない。

なんていうか…つまり2005年8月以降に関ジャニ∞を知ってファンになった人たちにとっては、出逢った関ジャニ∞は7人だったりするわけですよ。そういう立場の人たちにとっては「8人の関ジャニ∞」は未知数であるだろう。
知った時からずっと今に至るまで、7人。1年半という時間と、今のイキオイを考えたら8人を漠然と(ファンとしてではなくても)知っている人だけじゃなく、予備知識なく「7人」に出逢った人もいたっておかしくない。その場合8人の姿を「違和感」として捉える人だって、そのうち出てくるだろう。否、もう出ているかもしれない。

7人で活動することになった事情などは知ろうとすれば簡単に知る事ができるし、過去の映像や記事を後から見る事だって可能だと思う。
それでもその人にとっての関ジャニ∞が「7人」である場合だって、あるだろう。

でも別にその人は、あの日以前からのファンに対して負い目を持たなくてもいいよね。それは責められるべき問題では決してない。もちろん個人的には、だからといって「8人」を否定されるのはまっぴらごめん、なのですけれど(この辺りの感覚を文章にして誤解なく伝えるのが難しい)この先ずっと皆が「8→1」という呪縛に捕らえられ過ぎるべきではない。私が「関ジャニ∞」になる前段階の7人とか、その更に前の8人とか、そういう時代も見てきた。だからこそ、かな。この先に進めないほどに囚われてはいけないと思うんだよね。

でも、私は諦めたわけじゃない。
キミくんから「8人目はファンのみんなやで」と言われた時に諦めよう。そう、決めている。そしてきっと彼はそんな事絶対に言わない。
だから私は諦めたりしない。

彼を知らない関ジャニ∞のファンに、沢山伝えたい思い出がある。
忘れるでもなく、囚われるでもなく。
諦めない未来に進むために。大倉くん、ちょっとお借りします。







8→1

  • *1 : ブラックいじめが酷かった回でした。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://tiara.lovesick.jp/cgi/mt3/mt-tb.cgi/1551